遺辞眼

文部科学大臣のいじめ問題に対する呼びかけのやる気の無さにはビックリしたなぁ。原稿用紙棒読みじゃないっすかぁ…。だいたい「君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ」って何言ってるんでしょうか。いじめている人間はそんな事百も承知だし、やらなきゃこっちがやられるっていう意識がいじめを助長しているっていう背景もあるのにねぇ。それにいじめている人間には過去にいじめを受けていた人間も多いって事をあのオッサンは知らないんでしょうか。そして、呼びかけの最後の「話せば楽になるからね」って言葉はそのまま政治家の先生方にお返ししたい(笑 死ぬ人は楽になりたくて死ぬんだけどねぇ。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htm
言葉の是非はともかくとして、少なくとも自分は他人に対して「君は一人じゃないんだよ」とか「命とは尊いものなんだよ」とは言えない。自らの死に向き合って自殺を考える人っていうのは、それなりに頭の良い人だと思う。そういう人に対してどうして「君は一人じゃない」なんて言えるだろう。「話を聞くよ」っていうのが限界だと思う。こんな世の中で、命の尊さとか命の重さについて何を語れるんだろう。わざわざ戦争の話を持ち出さなくても、例えばあかの他人が死んでも人間は何も感じない。そもそも人が死ぬたびに傷ついていたらノイローゼになってしまう。人間っていうのはそういう生き物だ。少子化問題にしても年金制度の心配ばかりしている。年金制度を守る為に子ども生まなきゃいけないのかよ!(笑 「命は尊いものだから大切にしなさい」って言うのは問題の先送りにしかならないと思う。基本的に人間の命の価値なんてガラクタ程度のもので、その他人から見たら何の価値も無いガラクタに自分なりにどうやって価値を付けていくかっていうのが課題だと思う。自分が身の周りの人に言えるのは「あなたが死んだら私は悲しい」っていうのが限界で、「死んではいけない」とは言えない。その答えが見当たらない。「自殺したら迷惑だから」と言う人もいるけれど、人間は生きている限り周りに迷惑を与え続ける存在なのだから。