昨日は秋分
とうとう夏が終わりましたね。夏にやり残した事は…何もありません。何せやりたい事が無かったし!秋の目標は…特に無し!取りあえず来年の目標を今から考えておきます。そうこうしている間に、また夏が来るのでしょう。 イズレマタ
末世とは 別にあらじ 晋三の 新総裁を 見るにつけても
make upという言葉には「化粧をする」という意味の他に「でっち上げる」という意味もあるんだぁ。納得!
メビウスの輪
①好きな俳優を聞かれて答えたら、そういう人がタイプなんだ〜みたいなリアクションをされるのは何故だろう。それとこれとは全く違う話だと思うんだけど…。他の人にとっては同じ事なのかな?
②今日初めて「ウルトラマンメビウス」ってのを観ました。宇宙人が隊員に乗り移って、主人公(メビウス)に銃で撃たせてた。で、宇宙人が「はっはっは。とうとうお前は尊い命を奪ってしまった」とか何とか言って、メビウスを動揺させようって作戦を実行した訳なんだけど、最近は地球人より悪役の宇宙人の方が「命の尊さ」を知っているんだなぁ。「命の尊さ」ってものが実際にあるのか無いのかは知らないけれども…。
③NTTの人が12時から14時の間に家に来るって言うから待ってたのに、18時に電話が来て「1時間後に着くっす!ところで住所どこっすか?」とか抜かしやがったからNTTにテポドンでも打ち込んだろかと思ったけれども、その人も一生懸命働いているんだなぁと思ったら何も言う気がしなくなったのでやめました。
精神分析的見解?
某地方紙に精神科医である香山リカの高校野球に関するコメントが載っていた。書いている内容に異論は無かった。しかし、サッカー・ワールドカップに関して批判めいた事を言っていた人にしては何とも浅はかである。スポーツのあらゆる大会で、問題の無いものは存在しない。サッカー・ワールドカップもまた然りである。しかし、高校野球が抱える問題はレベルが違う。なぜなら、高校野球というのは存在そのものが否定されるべきものだからだ。詳細は省くけれども、高校野球というのは「児童ポルノ」と同じだと思っている。香山リカがかつてほざいていた「プチ・ナショナリズム」なんか問題にならないほどの大問題イベントなのだ。別に彼女は高校野球を礼讃していたわけではないが、新聞紙上に高校野球に関する(大会を批判するものではない普通の)コメントを寄せる事は、当然(本人の意図とは関係なく)大会を認めた事に繋がってしまうのだ(しかも、精神科医という権威のある者として)。彼女の意見には面白いと思えるものもあるのだけれど、頼むからスポーツとか映画とか、文化・芸術に関する事には口を挟まないで欲しい。精神科医と社会心理学者は違うのだから。色々なジャンルの人がコメントを寄せるってのは大事な事だし、「専門家は専門の事だけ語っていろ」なんて馬鹿な事は言わないけれども、サブカルチャーが専門で(正確には「精神医学」が専門の筈なんだけど(笑)スポーツド素人の彼女が(スポーツジャーナリストを差し置いて)コメントを寄せるってのは異常だし、彼女はもっと有名精神科医という(権威がある故に慎重になるべき)自らの立場をわきまえるべきだろう。何にでも出たがりーのミーハーリカちゃんのメディア露出が減る事をただ祈るばかりだ。
耐え難きを耐え忍び難きを忍び
心理学はもう信用しない事にした。メディアにこれだけ心理学者が出ている今の状況は異常である。しかも、そのほとんどが「どーでも良い事」や「意味不明の事」や「明らかに間違っている事」を喋っている。そもそも「心理学」という名前がいけない。「心理学」は「サイコロジー」で良いし、心理学者は「さいころじすと〜(byドラえもん」とでも名乗れば良い。少なくとも、「学問」って言うほどのものではない。バイパス手術が得意な外科医は「バイパス学者」なんて名乗らないし、釣が得意な人は「釣学者」なんて名乗らないし、お笑い芸人は「お笑い学者」なんて名乗らないし、喫茶店のマスターは「珈琲学者」なんて名乗らない。フロイトは天才だと思うし、現場の「さいころじすと〜(byドラえもん」は立派だと思うけど(笑、「心理学者」や「精神科医」の社会的地位がやたらと高いってのはやっぱり異常だ。「心理学者」は胡散臭いし(本来はそれが魅力なんだけど)、「精神科医」なんてただの医者やんけ(笑。まぁ、テレビで社会を語っちゃうのは良いとしても、全ての人間を心理学的に説明するなんて不可能だと思います。そもそも人間は身体と頭(理性・知性)と心で出来ているのに、どうして(最も抽象的で存在自体が曖昧な)心ばかりが注目されるのだろう。
心理学はなんだか「アポロ計画」の様だ。「アポロ計画」は確かに意義のある事だったが、今は行なわれていない。なぜなら、もう月に行く必要は無いからである。そして何より、大事なことは「月に行く事」ではなく、「宇宙開発」だからである。確かに、「月に行こう!」だとか「心の謎を解き明かそう!」といった言葉は魅力的だが、地味だけどもっと大事な事を忘れてはいけない筈だ。「心」と「人間」とどっちが大事なのか。答えは一目瞭然である。
日本人は昔から、理性や知性よりも感情を重視してきた。最近の心理学ブームの裏にはそういった事情もあるのかもしれないが、「感情重視」では日本はいつまでたっても外交下手なままだろう。アメリカの「理性の暴走」を止める為にも、中国や韓国と互角にやり合う為にも、心だけではなく理性(知性)にも目を向ける必要がある。先の戦争を繰り返さない為にも。今日は終戦(敗戦)記念日ですね。